しまぐらし ~事務屋の日記~

霞が関で国家公務員を務めていた事務屋さんが、ひょんなことから島に移住していろいろと思うところを書き連ねていきます。

「甲子園の土」をメルカリで売って良いのか悪いのか

夏の甲子園、ベスト4が出そろって佳境を迎えていますよ。
甲子園のお土産と言えば、何と言っても「土」だが、この甲子園の土を巡って一部が盛り上がっているらしい。
メルカリで売っているという、様々な分野を超えて定期的に聞こえてくる正義を巡る論争なのですが。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180817/k10011580931000.html
フリマアプリに「甲子園の土」ネットで賛否

論争のポイントは2つ。
・本物かどうか分からない
「本当に甲子園の土なの?なんとでも言える」
「メルカリにかぎらず、こういう出品物って信ぴょう性がない」
・思いのこもったモノを売買することの是非
「自分がプレーした土だから意味があるのでは」
「悔し涙流しながら、いろんな思いで集めた甲子園の土なのに残念です」
「売りたい人と買いたい人がいて、誰にも迷惑かかっていないからいいのではないか」
「あまり神聖視しなくていいんじゃない?要らない人は売る。欲しい人は買うでOK」

高野連の偉い人は「高校球児の誰もが憧れ目指すのが甲子園であって、一生懸命に練習を積み重ね、大会に出場した選手だけが甲子園の土を持ち帰ることができる。球場関係者や整備を担当する人たちは球児の思いをわかっているからこそ、土の持ち帰りを許可していて、金銭にかえるという考え自体が信じられないし、関わる人たちの思いをわかってほしい」とのコメント。つまり、売買をヤメロとのことですな。

しかしまあ、メルカリで売ってるのはおそらく持ち帰った本人じゃなくて、お礼として配ったうちの一部が売りに出されてるということなんでしょ?
なにやら、甲子園に出場したら、それまでにお世話になった人に土を配るような慣習があるとかないとか。せっかくもらったけれども、全然思い入れが無いんだよね~って人が売りに出すのも不思議ではない。むしろ、いらないんだよね~って言って庭にバラまいたりすることもできなくて困っているのやもしれず。

一方で、この手の「思い入れ商品」を売買することへの違和感も分からないではないのですが、欲しがる人がいるというのもまた不思議なことです。だって、別に「土」が欲しくて買うんじゃなくて、甲子園の土に籠っている神通力というか「想い」のようなものが大事なんでしょ?お金を払って買った土にも、神通力のようなものがあるんですかね?

例えば、富士山のご来光のことを考えてみましょうよ。ご来光ってありがたいものなんでしょ?
自分の足で富士山に登って、天気が良い朝の一瞬にしか拝むことができないというご来光のご加護?を、ぜひ自分にも分けてほしいと思う人がいるのでしょうよ。そんな感じで、甲子園の土を欲しがる人がいるのではないか。

そういう人たちのために、ご来光を写真に撮って印刷して売る人がいますよねえ。それは許されないことなのだろうかと。
足が不自由だったり高齢だったり、前に登った時は曇りで拝むことができなかったりと理由は様々だと思いますけど、せめて写真でも拝みたいと思う人がいて、その人のために写真を売ってあげるのって非難されるようなことなんですかね?

客観的に見て、「ご来光の写真って意味あるの?」と思う人もいるし、「そもそもご来光の意味って何?」と思う人もいるし、「自分で登らないなら意味が無い」という人もいるでしょうよ。でも、そうすると今度は「自分で登る」って何?とういことになりますよね。
ちゃんと0合目から登ったの?そうじゃなきゃ意味ないよ~とか。白装束で草鞋履きとか。程度の差こそあれ、ご来光って富士山信仰の概念なんだから、5合目から登っただけじゃ意味ないよねえ、という人もいるでしょうよ。
だから、写真を買って拝む人がいて、その人が満足してるならそれでいいじゃねえかと。

つまり、甲子園の土だって、甲子園を目指して一生懸命頑張ってたけど行けなかった野球少年が欲しがることもあるでしょうし、テレビで観てたまたま感動したおばちゃんが欲しがることもあるでしょうよ。そのおばちゃんがメルカリで買って、近所の野球少年にちょっと分けてあげるのもダメなんですかね。
甲子園から持ち帰った本人が配るのはアリで、メルカリで買って配るのはナシなの?そんなの変だよねえ。

というわけで、

結論:良し悪しじゃなくて、どうでもいいのではないか。他人が口を出すことではない。