しまぐらし ~事務屋の日記~

霞が関で国家公務員を務めていた事務屋さんが、ひょんなことから島に移住していろいろと思うところを書き連ねていきます。

川棚町の元地域おこし協力隊員がパワハラで訴訟を起こしたそうで

うっかりしていて、訴訟が起こった時の記事は読んでいないのですが、10月19日に第一回口頭弁論があったようです。

 

この本人と会ったこともなく、自治体にも知り合いはいないのでどっちにも肩入れするつもりはないのですが。
そもそもパワハラって、ほんとにひどいものもあればただ相性が悪いだけのこともあったりして、これまた赤の他人が判断できるようなことでもなく。

 

とは言え、この業界のことはちょっと気になるので調べてみました。

いちおう、この人のものっぽいTwitterアカウントがこちら。

twitter.com


2019年3月からということなので、やめる直前に作ったんですかね。

一方、似たようなアカウントのこちらは任期中に共同運用してたっぽい

twitter.com

 

着任された時の広報誌の記事も残っていました。(念のため顔と氏名はマスクしました。他意はありません。)

 

さて、このTwitterアカウントを全部読んでみました。

2019年3月末で退任したとのことですが、そのことを4/5にしれっと報告しているのがちょっと不思議ですよね。

この時点では悲壮感は全く感じられません。
もちろん、パワハラの苦しみを胸に抱えながらも表に出さないで我慢していたのかもしれませんが。

 

そして、4/16の夜から怒涛の「家は自分で借りろ」という投稿が続きます。
どうやら役場が借り上げた家に住んでいたので、退任したなら出ていってくれと追い出されたのでしょう。
そりゃそうだろうなと思いますけれども。。

5月はポツポツと普通の投稿をしていたようですが、そこから一気に飛んで、次の投稿は2021年10月7日。
この空白が何なのか。

はたまた、裁判を起こすにあたって投稿を削除したのかもしれませんが。

 

そこからまた可もなく不可もなくという感じの投稿が続くのですが、一気に不穏になるのが今年の3/26のツイート。

曰く「お茶が不味かった」「家は自分で借りろ」とのこと。
いや、いいですけど。二年前のお茶が不味かったとか今頃言うのか。。

そこからは「協力隊はモノじゃない。生身の人間だ!」などなど、活動家風のツイートが続くんですけど、主に言いたいことは「家賃は自分で払え」ってことなんですかね。
で、その理由が「タダで、あるいは、タダ同然で住んでいたら、何かあった時に法律で守ってもらえません。」とのこと。
そりゃタダで住んでて守ってくれって言われてもな。。と思わないでもありませんが。苦労されたんでしょうね。

 

そして迎える8/6のツイートで、ついに「パワハラ」というキーワードが出てきます。
おそらく、このころにパワハラ裁判を決意されたんでしょうね。

その後、自治体での設置根拠を確認しろという、これまた当たり前のようなツイートを挟みつつ、訴訟準備してる様子がうかがえます。

そして、急に川棚という地域をほめる投稿が続き、なぜか活動報告が始まり、最新の10/1はついに訴訟を起こしたということですかね。

 

ということで、ツイートを辿って分かることは、
・あまり準備をせず急に退任した
・二年経って訴訟を決意した

ということですね。

憶測ですけど、着任の前もあまり下調べはしていないタイプの協力隊員のようにも感じます。

 

ただ、Twitterだけでは分からないのでいろいろ調べてみたかったのですが、なぜかこの方の活動内容がほとんど残っていないんですよね。。長崎新聞で「イノシシギョーザ」の記事が一件だけ出てくるんですけど、それ以外に不思議なくらい残っていない。

試しに、同時期に活動していた協力隊の人を調べると、けっこうたくさん出てくる。。

三年活動した人と一年で退任した人を比べるのも難しいですけど、活動内容だけではなくて本人のお名前もほとんど出てこない。

このあたりに、ちょっと感じるものがあります。

 

そもそも、この方のミッションは農産物とジビエによる地域おこしのようで。

とくに、ジビエの方が特徴的だと思うのですが、この部分の活動がまたネットだけだとよく見えてこない。主に新しい食べ方を模索していたようですが、それ以外には箱罠を仕掛けたけど獲れなかったというツイートがあった以外には、加工場が無かったという事後のツイート。

どうなんですかね。

ほかの地域の協力隊でも「ジビエ」ってメジャーなテーマだと思うんですけど、この場合「狩猟免許の取得」と「解体処理場の確保」と「商品開発」がセットになりがちですよね。

本件も公式の活動内容にはその項目が並んでいるし。

狩猟免許取得は必須とされていたようだし、商品開発はプロに任せる方が確実だし、やはりキモになるのは解体処理場と加工場の確保だと思うんですよ。

すると、町内に処理場・加工場が一件しかないなら、そこを使えるか(処理場が使えないとしてもそこから素材となるジビエ肉を供給してもらえるか)、それが無理なら新たに処理場・加工場を整備する、という流れになっていくと思うんですけど、退任して二年も経ってから「どこですればよかったのでしょう」って。。

新卒で右も左も分からないならともかく、当時39歳だったということなので、役場側の人がイライラしたとしても不思議じゃないような気がしないでもないな、というのが現時点で読み取れる情報から至った個人的な結論です。

ともあれ、裁判の経過を見守っていきたいものです。

誰か傍聴してレポートしてほしい。